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奈良県奈良市の唐招提寺

奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院。南都六宗の一つである律宗の総本山である。

本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真である。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂をはじめ、多くの文化財を有する。

御影堂は重要文化財。文化財指定名称は「旧一乗院 宸殿 殿上及び玄関」。

鑑真の肖像彫刻(国宝)を安置する(開山忌前後のの6月3日 - 7日のみ公開)。建物は興福寺の有力な子院であった一乗院(廃絶)の遺構で、慶安2年(1649年)の建立。1962年までは地方裁判所の庁舎として使用され、1964年に唐招提寺に移築された。

障壁画は鑑真像に奉納するため、日本画家東山魁夷によって新たに描かれたものである。

大仏様にあいさつ

一部は禅宗様(唐様)の特徴にも通じる。

    構造的には、貫(ぬき)といわれる水平方向の材を使い、柱と強固に組み合わせて構造を強化している
     貫の先端には繰り型(くりがた)といわれる装飾を付けている
    挿肘木(さしひじき)と呼ばれる独特の組物を用いる。和様・禅宗様では柱の上に組物を置くが、柱の途中に差し込むように組物を付ける

寺の参道の人達

参道は、一般的に、影響力がある神社や寺の周辺で、自然発生した門前町とセットに認識されている場所も多く、どの範囲を「参道」と呼ぶかは、場所によって異なり、それぞれの場所の慣習による。


狭義には、鳥居や山門などの結界内の通路のみを示すが、広義には街道筋など人通りの多いところから寺社に至る道の全てを意味する。複数の参道が存在していた寺社も多数存在する。その場合、一番メインの参道は「表参道」などと呼ばれることが多い(たとえば東京明治神宮付近の「表参道」は、現在では国道246号線となっている矢倉沢往還・大山街道と明治神宮をつなぐ、明治神宮にとっての主要参道のことであり、地名となって定着してもいる)。


また、参詣のために街道筋が捻じ曲げられて寺社に近づいていたところなども、珍しくはなく、その捻じ曲げられた周辺の街道筋をも「参道」と呼ぶ場合がある(例→小金宿:水戸街道が本土寺への参詣の便のためにねじまげられていた事例)。

京都府の清水寺にお参り


国宝。徳川家光の寄進により寛永10年(1633年)に再建されたもの。「清水の舞台」とも呼ばれる。屋根は寄棟造、檜皮葺きで、正面(南面)左右に入母屋造の翼廊が突き出し、外観に変化を与えている。建物の前半部分は山の斜面にせり出すようにして建てられ、多くの長大な柱(139本という)が「舞台」と呼ばれるせり出し部分を支えている(釘は使われていない)。


このような構造を「懸造(かけづくり)」、あるいは「舞台造」と言い、観音菩薩は補陀洛山(ふだらくさん)に現われるという『法華経』「観世音菩薩普門品」(観音経)の所説に基づくものである。なお、同じく観音霊場である長谷寺や石山寺の本堂も同様の「懸造」である。






内々陣には、3基の厨子が置かれ、中央の厨子には本尊の千手観音立像、向かって右の厨子には毘沙門天立像、左の厨子には地蔵菩薩立像をそれぞれ安置する。三尊とも秘仏である。本尊厨子の左右には千手観音の眷属である二十八部衆像を安置し、内々陣左右端には風神・雷神像が安置される。

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